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流作場(りゅうさくば)は、新潟県新潟市の大字。1968年(昭和43年)に住居表示が実施されたことにより消滅した。 以下の記述は消滅直前当時の旧流作場に関しての記述であり、現在では名称等が異なる場合がある。なお、ここに記述されていない内容に関しては新潟市などの記事を参照。 == 概要 == 信濃川河口部右岸に位置する、江戸期から1889年(明治22年)まで存在した流作場新田(りゅうさくばしんでん)の区域。地名の由来は、信濃川の付州における流作による〔角川地名15、p.1396〕。 もともとは信濃川にできた中州で、戦後まであった古信濃川を境界とする区域であった。 昭和時代初期から進められた信濃川旧流域の埋立てとその後の都市開発、さらに1958年(昭和33年)の新潟駅の現駅舎開業などによって、萬代橋東詰側一帯は都市化が進み、今日における新潟駅周辺地区および万代・八千代となった。 流作場の地名は、登記上では「流作場」と「流作場ノ内水島」のみ残存しているが、宅地や商業地などの住居表示上では使用されておらず、「流作場」の名称自体も、東大通と萬代橋通り、万代町通り、旧駅前通、小須戸線が接続する交差点の名称「流作場五差路」と、水島町に所在する「新潟市立流作場保育園」など、今日に至るまで残存するものはごく僅かとなっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「流作場 (新潟市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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